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木漏れ日の空間にようこそ !!

木漏れ日の空間にようこそ !!

▼【記事の要点を記す(2)】






 【神のシスティムとバックグランドについて】
我々の宇宙即ちこの世は、科学の知識で表現すれば4次元世界であります。4次元世界は、物質界であると同時にエネルギーの次元世界でもあります。人間や動物はエネルギーを使って様々なことを考えたり、過去のことや現在、未来のことを空想したり 想像することができます。今、自分が何を想い想像しているか?と云うことは大変重要なことです。 何故なら、今自分が想っていること考えていることは、一人々全て違うのであり、想っていること考えていること こそが本当の自分なのです。(幸福の科学大川隆法もそのように言っています)その本当の自分こそが魂です。人間が死ねば物質でできた身体は なくなりますが、想念活動は残るのではないか?と考えられます。 

確かな証拠は得られていませんが、(私は)魂が不滅であることになります。 エネルギーの供給源は、如何なる存在によって何処から供給されているか?については、現在の科学では説明も、 証明もできません。あえて説明すれば宗教の分野で行うしか仕方が有りありません。即ち、神によって5次元以降の 高次元世界から供給されていると言わざるを得ません。又、高次元世界がめんめんとして続くなら神にも上には上があると言えます。神の存在については、確かな根拠とは言い難いですが、 この世に強者生存適者生存のメカニズムは極めて巧妙に出来ていて神によって創られたシスティムと言う他ありません。

 このシスティムをバックグランドとして、生きとし生きるもの達は生かされていると言えます。 人間は、バックグランドにも組み込まれていますが、主体的には、種としても個人としても人間として生きなくてはいけないのです。即ち、知性や理性を使って生きなくてはいけないのです。但し、二重人格を認めると云うことではありません。(神にとってはシスティム、人間にとってはバックグランどと云う意味)尚、想念上のことですが、密教は、殺し合いになる前に(殺さなくてもよい相手を殺さなくてはならなくなる前に)勝ちを収めたら相手を怒らせるのだそうです。目的は無意味な挑戦を断つためです。(2013/12/31)
  




 


【私の宗教の骨子とさせていただきます】 
私の宗教では愛とは神にしか管理できない概念であり、行なう者であるとしています。神にしか管理できないと云うことは、行なったことが結果でしか分からないとということです。結果が善であれば最初の動機、即ち行いに関する想いが愛であったと云うことです。従って結果が悪わるければ動機が貪りだったことになります。貪りとは悪意をもって行なう自覚している行為とは違います。自覚して悪を行なう行為は悪徳です。貪りとは他人の為に行なう行為ではなく自分の為に行なう行為です。従って愛とは他人の為によかれと想って行なう行為でなくてはいけません。はじめに他人の為によかれと想って行なったことが結果が迷惑になったり、危害を与えることもあります。神の判断は自分の想いとは違っていたことになります。

しかし、神は間違ってはいません。自分が間違ってるのです。反省しなくてはいけない課題です。反省とは悪行、即ち自覚して行なった他人を害する行為を拾い出す行為は小学生の反省です。熟練した反省は結果の反省ではなく結果を視て動機を反省することです。他人によかれと想って行なったことに自分の為によかれと想って行なったことがあるか?ないか?の反省です。上記反省のできない人は愛を説いてはいけないのです。正確には説いてはいけないのではなく説くと自分に不都合が起きるので説けないのです。以上から己の為に行う行為即ち、打算、計算などの自己保存の動機で行なう行為は貪りになりますが悪徳にはなりません。誰でも行なってよいのです。

要するに他人に迷惑をかけなければ何を行なってもよいと云う思想です。私の宗教では肯定しています。但し、上記考え方は人間で有る以上必ず間違いをおかすことを前提としなくてはいけません。不測の間違いを犯さないためにはヤハリ反省は必用です。又唯、貪りにならないだけの行いではでは徳性(光とも言う)は得られません。徳性の量は愛と貪りと悪徳の差し引き勘定になります。徳性を磨くと自然に他人の為になることが行なえるようになります。運命も好転します。理由は神の管理する部門ですので私には説明できませんが体験的な事実です。しかし、落とし穴もあります。特に宗教団体に入ったりすると徳を積む(佛教用語)と目的にする要素が出ます。そうなると動機が建前と本音に分かれることかあります。

即ち建前では人のためと想っていても無意識の内に徳を積むことに傾く想い方です。以上は欺瞞になり徳の料はマイナスに働きます。反省しなくてはいけません。ここが上級の反省個所です。又、修身を目的としたものは私ではコメントできません。各個人の良心の問題です。私の宗教では仏教の徳を積むと表現するところを徳性を磨くとさせて貰います。理由は量の過多にこだわりを捨てて性質の変化を目的にするためです。性質の変化を例示すると他人を指導することが容易になったり、指導力が感化力になったりするケースです。愛についてはこのページでは愛とはなにか?の説明は行ないましたが愛そのものは説いてはいません。愛は説く者ではなく行なうものだからです。愛や信は私の宗教では例示しています。



【九州の暴力団は日本のマフィアと云える】 2-1
高橋佳子が神ではなく私に謝罪すれば、ノウハウ事件に限れば(凌辱獄門事件を除ける場合に限れば)私は豊田章一郎を糾弾します。従って彼女が豊田章一郎に謝罪出来ない要素があれば、謝罪の文言はお受けいたしかねます。従って確認が出来なければ現状を続けます。GLA(会員)は何を行うべきか?になります。悪いのは泉田?(私の想像の中に存在した泉田さんについても私の責任ではありません)ではなく九州の暴力団だろう。野田元総理は九州の出身か?違うなら、違うと郵便文書でお知らせ下さい。リーダーがいない暴力団など考えられません。暴力団ではなくマフィアと云うべきです。上記について私は事実を知りません。

想念上の情報になりますが、阿蘇山の岳道様の祠には入居希望者が順を追って常時一人は入っていなくてはならないとのとです。祠に入った人は次に入居希望者が来るまで、私は事実を知りません。岳道様フォミリーの霊魂の規則や掟を霊的手段で知らされるととのことです。メインとなる掟は、本当のことを言ってはいけないことで、言わなければ本当のことを言わないで済むように護られ、言えば次々に本当のことを言わざるを得なくなり、自滅するということです。即ち罰があたると云うことです。アメリカと云えども大統領命令で国連の調査の阻止はできない筈です。リーダーがいない暴力団なとしか考えられません。

現政権は組閣したなら写真くらい公開しなくては国民の責任は問えません。親分は持ち回りなら飛松君が親分であっても不思議はありません。親分は阿蘇山の岳道様?と名打つ霊魂なのかも知れません。国際機関の組織の在り方を含めた調査対象になるのは当然です。飛松君は私に異議が唱えたかったら検察又は関芳郎に言って下さい。私は事実でないことを記せる資格(霊的意味)があります。「保護」に関しては一国の諜報機関の職員がが考えれば何を行えばよいか位解ります。しかし、保護されている人は逃げられはしません。

以前にもにも記しましたが矛盾を指摘されて「その通リだ!」と云う答え方は「力勝負で来い」と云う代替表現です。(そのように理解しなくてはいけません。準備を含めた対策を取らなくてはいけません)反対に矛盾を認めて相手に遺憾の意を示さない答え方は、相手から力勝負を挑まれても道理には反していません。しかし、理不尽な応答を行わざるを得なくなりますので気をつけなくてはいけません。キリスト教圏諸国の一般人は何で解決できないのか?解る人は居ないと思います。谷口健彦が今になって、想念上で私に謝罪しているならば、アメリカやヨーロッパ諸国に巡って何を行い何が悪かったと思うのか?罪滅ぼしの説明を行わなくてはいけません。



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